空手に関わるさまざまな蘊蓄をここに書き記します。
「武道」の字の意味するところ
「武」の本来の意味は、「戈+止」➡「武器+足」の会意文字です。
よく言われる「武を止める」とは正反対の「人が武器を持って、足で前進する」様子を表した言葉です。とても好戦的ですね。
このブログのタイトル「武道空手入門」にも武の文字がついているように、ただの「空手入門」よりも「武道」の文字がつくだけで勇ましくなります。
僕もその勇ましさが欲しくてこのタイトルを付けました。
では何故「武を止める」という真逆の意味を持つようになったのだろう。
これは、時代が変わったんですね。
時は支那大陸の春秋戦国時代。
「徳を持って政治を行う」という徳治主義の思想が儒教家により解かれたことと深い関係がありました。
つまり、世を治めることは「悪である敵を自分たちの正義の武力で制圧する」こと。
このようなこじつけ的な論理で戦いを繰り返していたのだろう。
僕に言わせれば、敵国のすべてを皆殺しにする彼の国の戦い方に、正義の戦いなど存在しなかったと言い切れますけどね。
それでは「武」に続く文字「道」についてはどのような意味があるのだろうか。
「道」➡「首と辶」の組み合わせです。
頭を前に向けて進んでいく様を表しています。
「千日の稽古を鍛とし 万日の稽古を練とす」
これは、宮本武蔵の「五輪書」にある言葉です。
千日は3年間、万日は30年間、このように長い年月をかけて追い求めること、これが鍛錬の意味するところであり、「武の道」はこれほどの長い道のりを、その武芸達成のために費やす心構えと捉えます。
「武」は本来、荒くれ者たちが、戦いのために人殺しの術を学ぶものですが、さらにその先には、遠くて深い真理の「道」が続いているということを理解し、修行に励むということを目標とすることが武道の本質であることを漢字の成り立ちからも垣間見られます。
果たして僕は、生涯を掛けて武道の道を歩めるだろうか。
自分の年齢を考えたら長くても、あっ…、あと30年も無いか…
空手の地域分類
沖縄発祥の空手には、その発展した地域と技術的違いによりに、三系統が存在します。
・首里手
軽快な身のこなし、跳躍やスピードを重視し、直線的な攻防を得意とする。
琉球王国時代、首里地域の士族たち中心に伝承されてきた
松林流、松林流、松濤館流ほか
・那覇手
接近した間合いでの戦い、呼吸法を用いた重厚な空手
那覇の商人や職人を中心に発展した
剛柔流ほか
・泊手
片脚立ちのような不安定な姿勢から相手の懐に飛び込む「入り身」
技のスピードと力強さが特徴
本部流ほか
空手の流派について
元来、唐手に流派名はありませんでした。
一子相伝の秘密主義的に伝承されてきた武術です。
初めて流派を名乗ったのは「松濤館流」です。
「松濤」とは、船越義珍の雅号で、船越義珍が豊島区に開設した道場にその名前をつけました。
船越義珍本人は、松濤館という流派名を名乗ったという記録はないものの、この名称が定着し「松濤館流」と呼ばれることとなったのが始まりと言われています。
その後、続いて「剛柔流」や「糸東流」など、数多くの流派が生じました。それに伴い、技術の整備、各流派の特徴の顕著となりました。
本部朝基語録
全38語録の内、12語録を抜粋。
- すべては自然であり、変化である。
- 構えは心の中にあって、外にはない。
- 夫婦手は唐手の欠かすことの出来ない定めで、日常生活の中でも――例えば酒を注ぐとき、盃を持つとき箸を取るとき等々――拳法修業者はこの定めを守るようにし、夫婦手の定めを自ら身につけるようにしなければならない。
- 一見しただけで、その者の当身の力がどれほどのものか、見分けるようにならねばならない。
- 当身の力の乏しい相手の攻めはいちいち、受けなくともよい。一気に攻めるべきである。
- 唐手は先手である。
- ナイファンチの形の足腰の在り方が、唐手の基本である。
- ナイファンチの形を左右、いずれかに捻ったものが実戦の足立で、ナイファンチの型は左右、いずれかに捻って考えた場合、いちいちの動作に含まれるいろいろな意味が判ってくる。
- 受け手がすぐ攻め手に変化しなければならない。一方の手で受け、他方の手で攻めるというようなものは、真の武術ではない。さらに進めば、受けと攻めが同時に行われる技が本当の武術である。
- 真の唐手に対しては、連続突きなどは出来ない。それは真の唐手で受けられたなら、相手の次の手は出ないからである。
- 面白いもので、自分は座ったまま、心の中で形をやると、自然と汗をかくのである。
- 自分の唐手には、猫足、前屈、後屈などという立ち方はない、いわゆる猫足などというものは武術の上で最も嫌う浮き足の一種で、体当たりを食えばいっぺんに吹っ飛んでしまう。前屈、後屈などというのも不自然な立ち方で、自由な脚の働き、動きを妨げる。自分の唐手の立ち方は、形の時も、組手の時も、ナイファンチのように軽く膝を落とした立ち方で、自由に運足し、攻防に際しては膝を締め腰を落とすが、前にも後ろにも体重をかけず、いつも体重は均等に両足にかける。
型も組手も
本部長基のことばです。
琉球王朝時代から明治初頭までは「型も組手も同時にやったものだ」
次第に組手軽視、型偏重の風潮となった。
組手を教えると「邪道扱い」され、型の「習得数」を競うようになった。
「今の組手なんかは、空手の型をそのまま取ってやっている」
「本来の組手とは全く関係のないもの」と指摘。
本部拳法は、沖縄でも失伝した古伝組手技法の数々を今日まで継承している。
空手に先手無し
松濤館創始者の船越義珍の言葉。
空手はあくまで護身を目的とし、絶対に自分から先に攻撃を仕掛けてはならないという「究極の平和的武道精神」をあらわした言葉であり、暴力的行為を厳に戒め、自分自身を律し、争いを避ける精神を涵養することに修業の本来の意味があると説いています。
教育者としての一面を持つ氏らしい言葉であり、その後の空手の有りように大きな影響を与えました。
空手に先手あり されど私闘なし
極真会館極真空手の創始者である大山倍達の言葉。
武道においては、敵の攻撃を待つのでは無く、機を見て先制攻撃を仕掛けることが重要である。
剣豪宮本武蔵は、その著書「五輪書」で、「先の先」は、戦いの主導権を握り敵を制する重要な考え方であると説いています。
実戦において、戦いは相手と向かい合った瞬間に既に始まっています。
敵の心の隙を読み、ちょっとした乱れに乗じて素早い攻撃を仕掛けることが命を掛けた戦いには重要でありそこに勝機が生じます。
大山倍達氏はその生涯において幾多の実戦(武術家やならず者相手)を重ね、師と仰ぐ宮本武蔵の剣の極意に影響を受け、極真空手を築きあげました。
大山倍達氏の気性の荒さと、漫画や著書で描かれた聖人君子的な姿とのギャップをもって、「大山倍達の生涯こそ私闘そのものではないか」などと揶揄する人たちも多くいます。
大山倍達氏自身、尊敬する宮本武蔵に対し「その戦いぶりは、卑怯であったり策略的であり、人間的には尊敬に値しない人物である」という意味の言葉を残していますから、大山倍達氏の人格否定についても否定はしないものの、その実戦哲学は、幾度となく死線を超えてきた者にしか到達し得ないものであることは認めざるを得ない。
いったい全盛期の大山倍達と戦い勝つことの出来た空手家が、氏が直接打撃を提唱する極真会館を設立する以前において果たしていただろうか。
その意味において、不出生の空手家と認めざるを得ないし、空手界に革命的変革を起こしたことは否定できない。
戦いとはそれほどリアルであり厳しいものであることを受け入れなければ、実戦や武道について語ることはできないのではないだろうか。
空手鍛錬法の数々
