【空手の流派と創始者編】

   

現在、日本には数多くの空手流派があります。 

ここでは、その中でも、空手を語る際に外すことのできない会派や、特徴的な技術を持つ会派を取り上げます。 

  

伝統空手の四大流派(松濤館、剛柔流、糸東流、和道流)

沖縄三大流派(剛柔流、上地流、小林流)

沖縄の伝統会派(松林流、日本傳流兵法本部拳法)

伝統空手からの派生した新興会派(極真会館、芦原会館、大道塾)

 

松濤館

 

創始者 船越義珍(1868年~1957年)

出身地 沖縄県

沖縄から本土へ空手を広めた第一人者

 

 

20代半ば、首里手の安里安恒に師事し、型、公相君(観空)を学ぶ。

1922年(大正11年)、東京で空手の型の演武を披露し、それが日本本土における空手普及の足がかりとなりました。

その後、宮城長順ら沖縄の唐手家たちも続けて東京に進出し、唐手普及に乗り出しました。

松濤館という名称は、昭和14年(1939年)東京都豊島区に開設した道場名に由来します。

船越義珍が唱えた「空手に先手無し」という言葉は有名であり、その後の空手のありように大きく影響を与えました。

  

稽古は、型稽古を中心に行い、組手を行うことを強く否定しました。

船越義珍は沖縄から15の型を伝えましたが、「組手についてはあまり知らなかった」との弟子たちの証言もあります。

後年、弟子の大塚博紀(和道流開祖)、小西康裕(神道自然流開祖)らが中心に、神道揚心流や竹内流柔術を参考に「約束組手」を作りあげました。

船越自身は、晩年まで自由組手や試合化の普及について強く反対したと言われています。

  

 

【形の種類】

平安、慈恩、観空大、観空小、燕飛、壮鎮、雲手、五十四歩小、五十四歩大

  

【技術的特徴】

松濤館は、深く大きな前屈立ち、騎馬立ちで、遠い間合いから直線的に、一気に踏み込んで突きや蹴りを繰り出す技が多用されます。

組手においても突進力や一撃の威力を重視し、「いかに相手との間合いを素早く詰めて先手を取るか」に重点を置いたスタイルをとります。

また、空手のスポーツ競技化を強く推進した流派でもあり、戦後、寸止めルールの大会を開催しました。 

  

剛柔流

 

創始者 宮城長順(1888年~1953年)

出身地 沖縄県

 

 

宮城長順は、14歳で東恩納寛量に師事

その後中国に渡って福建省で白鶴拳などの中国拳法も修行しました。

那覇手と中国武術を融合し、「剛柔流」と創設しました。

この名称は、中国の武術書『武備志』の一節「法剛柔呑吐」(剛と柔の原理)に由来し、「剛(硬さ)と柔(軟らかさ)の調和」を理念としています。 

昭和2年、柔道の嘉納治五郎が沖縄視察に訪れた際に演武を行い、ぜひ本土で唐手の普及をして欲しいとの要請を受ける。

昭和3年、京都帝国大学で武術講習会を行う。

その後、毎年のように東京、大阪に出かけ唐手の普及活動を盛んに行う。

  

  

【形の種類】

三戦、転掌、撃砕、砕破、制引鎮、四向鎮、三十六手、十三手、十八手、久留頓破、壱佰零八手

 

【技術的特徴】

中国拳法から影響を受けたと思える、剛と柔ゆったりとした動きと力強い技、円を描く動きの攻防、独特の「猫足立ち」での接近戦の攻防に特徴があります。 

 

糸東流

 

創始者 摩文仁賢和(1889年~1952年)

出身地 沖縄県

 

 

摩文仁賢和は、14歳から首里手の大家・糸洲安恒に師事し、19歳からは那覇手の東恩納寛量にも学び、二大系統「首里手と那覇手」の武術をともに学びました。

さらに沖縄のさまざまな空手家に、多数の「形」を研究、本土では大日本武徳会の柔術や講道館柔道を学びました。

昭和4年、大阪に移住し唐手の指導を開始する。

昭和6年、自身の流派を開設。

その際、二人の恩師の姓「糸洲の糸と東恩納の東」をもとに「糸東流」と名付けました。

  

【形】

首里手系(松村や糸洲系統)の形と那覇手系(東恩納系統)の形の両方を計50種以上を体系に取り込んでいます。

首里手:平安、抜塞、公相君など

那覇手:ナイハンチ、セイエンチン 

  

【技術的特徴】

摩文仁賢和から学んだ技術体系には、投げ技や関節技も含まれています。

戦後に空手がスポーツ化する過程で、危険な投技・関節技は除かれていきました。

しかし糸東流の一部の形には、その片鱗として相手を崩す動作や関節を極める所作が含まれており、「古伝の技」を多く残しています。

糸東流は首里手・那覇手双方の古流空手の技法を伝えており、空手の原形により近い内容を持っていいます。

特徴としては「中間姿勢の多用」「重心移動の安定」があります。

猫足立ちや四股立ちなどの立ち方で、素早く方向転換しても身体のブレが少ないことが大きな特徴です。

常に正中線を意識し、技をコンパクトに、テンポ良く、力強い技を繰り出します。

    

 

和道流

 

創始者 大塚博紀(1892年~1982年)

出身地 茨城県下館市

   

  

1910年、早稲田大学に入学。

1922年、沖縄県人学生寮「明正塾」に滞在していた船越義珍に師事

船越は大塚に対し「素人なら5年、武術の心得のあるものなら2年で大部分の形を習得するができる」といい、大塚は、毎日欠かさず船越のもとへ通い続けました。

結果、入門してからわずか一年半、船越から一通り形を学びましたが、船越が指導したのは形だけで組手はなく、またその場基本や移動基本といった基本稽古もありませんでした。

柔術を修めた大塚にとって、柔術の乱取りに相当する稽古が唐手にないことが不満でした。

大塚は自ら学んできた柔術の技術を取り入れて組手形、真剣自刃捕、短刀捕などを制定し現代空手につながる稽古体系の基礎を作りました。 

  

【形】

平安、ナイハンチ、公相君、セイシャン、チントウ、バッサイ、ジオン、ニーセイ、ジッテ、ローハイ、ワンシュウ

  

【技術的特徴】

・空手の技術に柔術の関節技や投げ技を取り入れた

・本当の武道は、戦わずに済むことが最強の技

・舞うようにスムーズで優雅な動き

・突きや蹴り、関節技や投げ技も含まれており、さまざまな状況に柔軟に対応する

  

上地流

  

創始者 上地完文(1877年~1948年)

出身地 沖縄県

 

  

1904年、パンガヰヌーン拳法の免許皆伝

1907年、福建省南靖にてパンガヰヌーン拳法社という道場を開く

  

上地完文が中国に渡り、現地の武人周子和から伝授されたパンガヰヌーン(半硬軟)拳法が基になっている。

首里手、那覇手、泊手などの手 (沖縄武術)の流れではなく、本来の意味での「唐手」の流れをくんでいる。(中国由来の手)

  

【型】

・完文が中国から持ち帰った型 

 三戦、十三、三十六

・門人達が編み出した型

 完子和、十六、完戦、十戦、完周

  

【技術的特徴】

・三戦の型稽古で、構え、体捌き、心技体の基礎となる呼吸法の修得

・三戦で、身体を叩かせ、呼吸法で全身の筋肉を締め、打撃に耐える肉体を作る

・「小手鍛え」と称しお互いの腕と腕を直接ぶつけ、前腕を鍛える

・攻撃方法に指先・足先を使った技が多い

・パンガヰヌーン拳法の型には正拳突きはない

・四本貫手や拇指拳を使うことが多い

・他流派の型では拳を握るところでも上地流では開手で型を行い

・「足先蹴り」は、足の指先を固めて蹴る

 

小林流

   

創始者 知花朝信(1885年~1969年)

出身地 沖縄県

  

 

糸洲安恒の弟子。

1933年に小林流を設立。

糸洲系統の型を継いでいる。

 

【形】

三戦、完子和、完周、十戦、十十三、十十六、完戦、三十六、龍虎

 

松林流

  

創始者 長嶺将真(1907年~1997年)

出身地 沖縄県

  

  

19歳から当時の空手の大家・喜屋武朝徳の高弟であった新垣安吉に師事した。

1931年、地元に住む喜屋武朝徳に師事

1936年、東京にて本部朝基にも師事する機会に恵まれた。

「首里手」、中興の祖である松村宗昆の直弟子喜屋武朝徳

「泊手」、中興の祖である松茂良興作の弟子本部朝基

の両雄に師事。

 

【形】

平安、ナイハンチ、アーナンクー、王冠、ローハイ、ワンシュー、パッサイ、五十四歩、チントー、公相君

 

【技術的特徴】

松林流空手は首里手・泊手の両系統を受け継ぎ、攻防のバランスと独自の腰使いに特徴がある

仙骨を意識した軸作り、筋力に頼らず相手を自然に弾き飛ばす技術を重視する。

関節技や投げ技も取り入れ、柔軟かつパワー重視の動きが特徴。 

 

日本傳流兵法本部拳法

 

創始者 本部朝基(1870年~1944年)

出身地 沖縄県

日本傳流兵法本部拳法は、通称「本部流」と称する

  

  

大正11年、当時52歳。たまたま遊びに出かけていた京都で、ボクシング対柔道の興行試合を目にして飛び入りで参戦し、相手の外国人ボクサーを一撃のもとに倒す。

この試合の模様が、国民的雑誌『キング 大正14年9月号』に掲載される。  

  

大正12年頃、大阪市に唐手術普及会を結成した。

この会には、山田辰雄(日本拳法空手道)らが入門している。

大正15年には、「沖繩拳法 唐手術 組手編」を出版し、掲載された「朝基十二本組手」は、文献上確認できる最古の約束組手の記録です。

昭和2年、朝基は上京して唐手の指導に当たる。

船越門下の小西康裕(後に神道自然流)が中心となり、本部朝基後援会が結成された。

昭和4年には、同じく船越門下の大塚博紀(後に和道流)が朝基に師事。

大塚は後年、「ともかく本部さんは文句なく強い人という印象です」と述懐した。

長嶺将真(松林流)も訪れて、朝基に師事している。

  

  

【型】

ナイハンチ

本部御殿のパッサイ、クーサンクー大

  

【技術的特徴】

ナイハンチの型を基本。

本部拳法の術理は、すべてナイハンチの中に内在している。

ナイハンチは基本であると同時に奥義である。

他から「ナイハンチしか知らない」と揶揄されるほどでした。

本部朝基のナイハンチは、全体的に上段に構える古式のナイハンチであり、足運びなども糸洲以降の力強い運足ではなく、松村時代の静かな運足を特徴とする。

腰は糸洲系統よりもやや落とし、脚は膝は閉めずに「八文字立ち」の自然な形を維持する。

  

【組手】

組手は、夫婦手(めおとで)の術理を基本とし、諸手連動による攻防一体の技術の習得を目指す。夫婦手は古伝空手の根本原則。

夫婦手では、後手は引き手として脇に添えるのではなく、必ず前手に添えるようにして身体正面の急所をガードするよう心がけます。また、実際の攻防に際しては、左右の手はいずれも自在に攻め手、防ぎ手に切り替わって臨機応変に対処する。

 

突きは、夫婦手の原理に従い、前手、後手どちらからでも突く。

入身しての近距離の間合いでの攻防を基本とするため、正拳突き以外に裏拳、猿臂も多用する。

 

蹴りは、前蹴り、膝蹴り、膝折り等、近距離の間合いから放つ古流の蹴り。

回し蹴りなど空手以外の武術の蹴り技はない。

  

攻防一体の基本理念により、受け手も「受即攻」を心掛ける。

掴み手は、組手技法の基本となっている。

  

立ち方は、ナイハンチ立ち。

体重は両足に均等に乗せる。

組手では、猫足、前屈立ち、後屈立ち等の立ち方は用いない。

 

極真会館

  

創始者 大山倍達(1923年~1994年)

出身地 日本領朝鮮全羅北道金堤市

1910年から1945年まで朝鮮半島全域は日本国だったので、出生時は日本人

終戦とともに韓国籍となり、1968年日本国籍を取得し帰化し。再び日本人となる

 

  

1943年(昭和18年)松濤館の船越義珍、その後、剛柔流の山口剛玄に師事。

1964年松濤館と剛柔流の技術体系を基盤として極真会館を設立。

極真とは「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉に由来

  

大山倍達のことについては、不明な点が多い。

漫画の誇張した表現や著書で書かれた内容、ゴーストライターの誇張、さらには大山倍達本人も、その積み重ねられた「大山倍達像」を演じ生きることをよぎなくされ、あるいは率先して生きることを選んでなのかもしれないが、結果「大ボラふき」などと揶揄されることも多い。

数々のエピソードにしても、高弟たちの真しやかな証言そのものの真偽さえも疑われることも度々あり、その関係者も鬼籍入りをしてしまった今日においては、検証することさえも困難になりつつあります。

 

ただ、実戦においては、他の空手家を寄せ付けないほどの強さがあったということについては、「牛をひねり倒すほどの力」、「五人掛けの演武」、「ビール瓶切りやレンガの重ね割り」など、動画に残されたシーンから垣間見える力量に疑う余地はない。 

 

 

【型の種類】

松濤館系…太極、平安、観空、五十四歩

剛柔流系…撃砕、最破、征遠鎮、観空、十八、三戦、転掌

その他…安三、突きの型、臥竜、足技太極、平安裏

 

【技術的特徴】

稽古体系及び大会ルールにおいて、直接打撃制を採用

技術的な大きな特徴は、円の動きを用い、相手の側面をとり制する

型の特徴は、重厚な円運動と呼吸法にある

呼吸法…息吹、のがれ

 

「点を中心に円を描き 線はこれに付随するものなり」

「技は力の中にあり」

「力の強弱 技の緩急 息の調整」

「空手の生命は組手にあり 組手の生命は基本にあり」

  

【立ち方】

基本的立ち方…三戦立ち、前屈立ち、後屈立ち、騎馬立ち、四股立ちほか

実戦的立ち方…猫足立ち、組手立ち

  

芦原会館

   

創始者 芦原英幸(1944年~1995年)

出身地 広島県

 

1961年、極真会館の前身の大山道場に入門。大山倍達に師事

当時の大山道場は、正拳による顔面攻撃・金的攻撃全てあり。組手では、初心者の芦原に対し「ケンカのつもりでこい」という荒々しい指導を行っていた。

そんな大山道場に入門した芦原英幸は「緑帯を取ったらさっさと辞める」気持ちでいたといいます。

 

 

 

1980年、極真会館を脱退(除名)し、四国において芦原会館を設立します。

芦原空手は「サバキ」という、相手の攻撃を受け流し、側面や後部に優位な体勢を取り制する技術が特徴です。

これは、極真空手の実戦組手の技術をさらに研究し、「サバキの技術」を確立したものといえます。

大山倍達は常々、戦いにおいては正面に立てば相手の100の攻撃を、側面であれば60、50と自分に有利な戦いに持ち込むことができるという勝負の理を唱えていましたが、「サバキ」はその理論を究極まで研ぎ澄ました戦い方です。

  

  

【型】

独自のサバキの型

 

【技術的特徴】

組手の大会は開催しない

サバキの技術を駆使した、約束組手の修練 

 

【立ち方】

組手立ち

 

大道塾

  

創始者 東孝(1949年~2021年)

出身地 宮城県

  

  

1971年、極真会館に入門。大山倍達に師事

1981年、宮城県支部長を辞し、大道塾を設立。

  

大道塾は、極真空手の大会ルールにおいて禁じ手となっている「正拳による顔面攻撃」、もつれた際の「投げ技」を有効技とし、後年は「絞め技」を取り入れました。

絞め技まで取り入れるとなれば、空手の範疇から大きく離れたものとなるためか、「空道」を名乗るようになりました。

  

  

【型】

なし

  

【技術的特徴】

スーパーフェイス着用による、顔面攻撃あり、投げありの過激な大会

  

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